組手に負けないための9原則
序〜空手道の修練体系について
「基本、型、組手、鍛錬法、心法、理論」流派を問わず、空手道の修練体系には前述のような要素が体系づけられているはずだ。私の空手道場では、さらに基本技を「伝統技」と「組手技」の2種類に、型を「伝統型」と「組手型」の2種類に、組手法を「極真スタイル方式」「フリースタイル方式」「ライトコンタクトスタイル方式(研究中)」の3種類に分けている。その他、「護身技」や理論としての「武道哲学」などが体系づけられている。
すべてを学び、習得するには、かなりの時間を要するであろう。しかし、空手道の修練が生涯をかけてのものと考えればどうだろう。つまり、空手道の技術の修練を、修練者の個体差、状況に合わせ、少しずつ修練を積み重ねれば良い。そうすれば、誤解を恐れずに言って、教養としての学びは可能であろう。
正直に言えば、すべての人が達人になれるわけではない。しかし、多様な空手の技術を体験することは、一人ひとりの心身を確実に鍛えるのみならず、その教養を高めてくれると思う。心身の感覚を開拓していく体験は、AIが進歩し、社会を侵食するような現代社会において、大変有意義なものとなるはずだ。ただ、空手を始める人達が、空手体験に対する、「心構え」や「認識の仕方」を間違えば、私は、それを保証できない。
さて、私は空手道場を主宰し、多くの道場生を観てきた。その多くの人の興味が組手の上達であったように思う。そして、多くの人が組手に対し少なからず挫折感を味わい、空手から去って行ったように思う。もちろん、すべて同じとするわけだはない。ただ残念に思うのは、空手の修練を志したものが、組手(戦い・闘争)に関して真正面から向き合わず、皮相的な理解に止まっていくことだ。また、一番の問題は、組手競技の勝者たちが、自分の体験を絶対視し、組手に深く向き合えていないことだろう。本当は、組手のリーダーとなるべき、組手競技の勝者たちが、もっと深く、組手と深く向き合わなければならないと思う。しかし、現実というものの難しさが、そこに立ちはだかっている。一方、私は組手と組手法を考え続けてきた。その果てに、組手の構造を突き詰め、それを再構築していきたいと考えている。そして、空手の修練者に、組手の体験こそが、我々の心身の構造を深く理解させ、その感覚を拓いていくものだと、伝えたいのである。そのために、以下、組手の修練理論を、初心者向けにわかりやすく、解説してみたい。
第1章 組手に強くなる3局面と9原則
組手修練は力任せに行なっては、怪我をしたり、相手との感情的な関係性を気づいたりする可能性が高い。さらに、組手のみならず空手自体が嫌いになる可能性もある。ゆえに、私は、すべての空手愛好者が組手に上達するための理論を提示したい、そのための手段として、まずは組手に上達するための原理原則を示し、その原則を物差しにしながら組手稽古を行なう事が必要だと考えている。その原理原則が「組手に強くなる3局面9原則」である。本書では、その3局面9原則についての解説及び論を展開したい。
【3局面と9原則】
〈局面1:戦う前(準備・稽古)の局面〉
原則1.心理的かつ身体的な基礎力の養成。
原則2.戦略、戦術の研究を行い、常に原理原則を考える。
原則3.得意技を身につける。
原則4.絶えず新しい技を試す。
〈局面2:戦う前と戦いの最中の両方をつなぐ局面〉
原則5.相手(他者)と自分(自己)との情況、状態、関係性を把握する。
原則6.どんなことがあっても負けないと、心に刻む。
〈局面3:戦いの最中(組手)の局面〉
原則7.相手の戦略と戦術のパターンを認識する。
原則8.相手の攻撃を弱体化又は無力化する意識を持ち続ける。
原則9.自分の攻撃の効力を最大化するための努力を継続する。
3局面と9原則について
まずは、先述した3局面と9原則にについて、前置き的な解説をしておきたい。私は組手に強くなる原則を考えるにあたり、時間的要素が念頭にあった。簡単に述べると、まず、自己と相手(他者)とが対峙する組手という闘争の局面・状況を、その場所に繋がる前の〈局面1〉と今まさに組手の最中という局面3とに分けて見る。次に〈局面1〉と〈局面3〉をつなぎ、かつ両局面と非連続の連続と表現とでもいうような一体性を有する〈局面2〉を想定し、さらに3局面を見直すのだ。その理由は、戦い・組手に強くなる原則を考えるにあたり、戦い・組手を時間的な変化を伴う3局面として認識する必要性があると考えるたからである。
さらに、3局面について解説したい。まず、〈局面1:戦う前(準備)の局面〉は〈局面2:戦う前と戦いの最中の両方をつなぐ局面〉により、〈局面3:戦いの最中(組手)〉という局面〉と連関、すなわち繋がっている。おそらく、「勝つための歩法(拙著)」の読者には、そこが伝わらなかったに違いない。本書では、さらに、〈局面3:戦いの最中という局面〉は、〈局面1:戦いの局面の準備の局面(局面1)として、連関している。そして、さらに〈局面3〉を経た、〈新たな局面1〉は、〈新たな局面2〉を仲立ちとして、〈新たな局面3〉へと、円環的につながって行く。言い換えれば、〈局面1〉から〈局面3〉は、一体であると言っても良い。そのような直観から私は、9原則をより深く認識、実践するために、〈3局面〉の認識こそが、最も必要だと言いたいのだ。以上のような考えは、先述した時間的要素を考慮しているからである。ゆえに、組手や戦いに真に強くなるためには、「過去ー現在ー未来」という概念、認識をも変更しなければならないと、私は考える。それが組手にとどまらず、あらゆる種類の闘争の普遍的な要素のように考える。この部分は、いずれ再考し、論を展開したいが、本書では、このぐらいにとどめたい。それでは、以下、9原則の解説に入りたい。
強くなるということの本質
はじめに〈原則1〉について述べる。〈原則1〉から〈原則4〉は、〈局面1〉における原則である。平たく言えば、「組手に強くなって行くプロセスにおける原則」、また「組手に強くなるための準備段階における原則」である。言い換えれば、「強くなる要因を積み上げる段階における原則」と言って良い。ここでいう強くなる要因とは、例えれば点である。そして、その点はもう一つの点と繋がり、線となる。さらに、点と点をつなぎ、線となるような営みが、さらに、円環的な局面の中で面となって行く。そのようなプロセスが強くなるということの本質であると、私は考えている。
第2章 心理的かつ身体的な基礎力の養成
それでは、ここから組手に強くなる9原則についての解説を始めたい。
まず初めに、〈原則1〉の「心理的及び身体的な基礎力の養成に努める」だが、大雑把な言い方をすれば、「組手に強くなりたいなら、激しい組手練習に耐えうる体力と根性をつけろ」となる。特に、攻撃を直接相手の体に当てるフルコンタクト空手の組手の修練は、相手攻撃を受け止めるための体力と恐怖心に対する心理的覚悟のようなものが必要なことは言うまでもない。
しかしながら、そのような身体的な体力や心理的思い込みを絶対視することは、空手家を最終的な境地に導くことはないだろう。むしろ、身体的な体力に劣ると言う認識と心理的な思い込みを疑い、それらを努力によって更新し続ける者が、その努力の先に、高い次元の境地を見るだろう。我々人間は、赤子の時から強大な体力や私のいう「基礎力」を有しているわけではない。冒頭に挙げたように、戦う前の局面、すなわち準備段階を経てから戦いを体験し、さらに準備段階に立ち戻るような、プロセスを経て、徐々に強くなって行くものなのだ。そのようなプロセスにおいて、私が重要視したいのが、準備段階である。この段階において、どのような心構え・意識を持つかが、その後の結果を決めると言っても良いと思う。もちろん、先天的な個体差の影響も大きい。しかし、それでも重要なのは、「強くなるための原則」を踏めるかどうかなのだ。もし、読者が身体的にも心理的にも体力がないと嘆くなら、この9原則を信じ、体系だった稽古を繰り返して欲しい。そうすれば、誰もが必ず強くなると断言したい。また、すべての人間にその可能性が開かれているということを信じてほしい。
戦略、戦術の研究を行い、常に原理原則を考える
次に〈原則2〉の「戦略、戦術の研究を行い、常に原理原則を考える」だが、ここが幼年や考えることが苦手な人には、「うざい」と言われそうだ。原則2は、基本練習をただ漠然と行なったり、力任せに行なったりせず、身体の使い方を吟味しながら行なうこと。また、基本技の応用の練習でもある組手型の練習、組手型の応用練習である組手練習においては、身体の使い方のみならず、技の使い方(運用法)を吟味することが重要だと言っている。
実践を重んじる空手愛好者には、かなり理屈っぽく感じ、嫌味な感じを受けるかもしれない。しかし、組手型や組手練習を行う時、組手の戦術や戦略を考えることが重要なのだ。通常、組手競技では、競技に勝つことに心を奪われ、つい目先の動きや技にとらわれがちである。しかし、もう少し戦術や戦略を理論的に考える習慣を持って欲しい。ここでいう戦術とは、ある局面における戦い方のことである。他方、戦略とは、戦いの局面と局面を繋げ、最終的に自己の状況、状態、局面を他者に対し優位とする方法のことである。もちろん、どのような戦術や戦略がベストかは、個体の違いによって異なる部分もある。しかしながら、まずは、そのような意識と研究をしなけらばならないと考えて欲しい。増田空手理論とは、そのような観点を基に編まれている。もし、そういうことを念頭におかない空手稽古ならば、不敗を目指す、武術の稽古とは言えない。
(連載2回に続く)
この内容は、2012年03月24日、アメーバブログに掲載した内容を加筆修正したものです。
得意技を身につける
〈原則1〉では体力的かつ心理的なことについての原則。〈原則2〉は、理論的なことの捉え方についての原則である。次の〈原則3〉は、実際の組手における原則である。それら1から3の原則を実践し、検証するには、先ず以って偏見を持たないようにすること。そして、すべての技を修練し試すということが、稽古の際の基本的態度である。
一方、下位者(初心者)が組手練習を行なう場合は、先ず身につけたい技(組手で使いたい技)を決め、その練習に取り組むのが良いという考え方がある。さらには、始めのうちは右も左も解らないかもしれないので、いろんな技を試してから、自分が好きだと思う技を見つけるのも良いという考え方もある。しかし、それらは全て、ここでいう「得意技を身につける」ということとは次元が異なる。
ここで初めて組手を行うことをイメージして欲しい。いうまでもなく、誰もが、何らかの技を用いる。しかし、でたらめに技を出しても組手にならないことは言うまでもない。もし、でたらめに技をだし、組手が成立したとしたら、それは畢竟、相手が弱いか、組手の技術レベルが低い相手なのだ。私は、そのような相手と組手をすることを想定するのではなく、理想の組手を追うことで、組手に強くなると考えている。
ここで「組手を行うとはどういうことか」考えてみたい。技を言葉に置き換えれば、何らかの言葉(技)を軸に相手と意思の伝達をしあう行為(コミュニケーション)と言っても良いと、私は考えている。もちろん、空手の組手は、言葉のやり取り、会話と全く同一ではないかもしれない。しかし、両者の間には、共通の構造があると考えている。
相手の戦闘力の弱体化→戦闘意欲の喪失→相手戦闘力の浄化・転化(和解)
また、組手稽古の先にある、増田武道の到達点をイメージ的に示せば、武術による「相手の戦闘力の弱体化→戦闘意欲の喪失→相手戦闘力の浄化・転化(和解)」となる。ここでいう浄化・転化(和解)とは、相手を認めるということだと、簡単に述べておく。さらなる論の展開は別の機会にしたい。
そのようなイメージで組手を考えるならば、相手に攻撃するとは、攻撃技の効力により、相手の戦闘力の弱体化の目的で行われるのが基本なのだ。ただし攻撃技の効力の内容を、威力、威力による威嚇等とするならば、その効力を思う存分に発揮して、組手稽古を行うことは、空手の初心者には適さない(怪我や最悪、死に至る)。我々の行う組手稽古は、幼い子供に親が言葉を教え、意思の伝達手段を体得させる過程と同様に考えて欲しい。
まずは相手にまずは正しく意思を伝える
そのように観るならば、まずは相手にまずは正しく意思を伝えるということが大事だということが理解されるはずだ。ただ問題は、空手は武術であり、相手を攻撃するという目的で行われるという点だ。相手を攻撃するという目的は、言葉のやり取りと置き換えるならば、異常事態である。その異常事態を疑似体験し、そのような中でも自己を見失わないようにする所に武道修練の意義があると、私は考える。
さて、話を戻せば、組手を初めて体験する場合、どんな人も何らか技を軸(手がかり)に組手を展開するはずである。さらに、組手の体験により、その技の効用を学習していく。その意味は、先述したように、相手の戦闘力の弱体化には、何らかの攻撃技の駆使という、ある種の意思伝達が必要だということだ。
組手稽古における攻撃も、ある種の意思伝達と考えて欲しい。そして、その意思伝達の効力は、意思の母体である個体の能力によって異なる。さらに組手では、自分に向けられた、攻撃技の威力を弱体化させる、防御技の駆使が認められ、かつ使用する。つまり、「組手とは相手の戦闘力を弱体化させるために相手を何らかの技で攻撃する」。同時に、「自己の戦闘力を弱体化させられないために防御技を駆使する」。そのような訓練と言っても良いだろう。
そのように考えるならば、意思伝達のための効力を高めるためには、まず、その技を使用することである。それが「どんな人も何らかの技を軸に(手がかり)に組手を展開する」ということの意味である。つまり、まずは技を相手に使って見ることが大事なのだ。補足すれば、組手を指導する指導者は、ますは組手稽古の安全性の確保、下手でも臆せず技を使わせるなどの要点を認識して欲しい。その上で、初心者に様々な技を駆使する体験をさせるよう促さなければならない。
さらに、組手稽古では自己の攻撃技が、相手の防御技によって弱体化させられるということを体験することで、相手の技が砥石のように作用し、自己の攻撃技の切れ味(レベル)を磨いていく。それが、私の組手稽古の上達への第1段階と言っても良いだろう。
組手の深い吟味による判断と選択、そして変化を積極的に繰り返す
「得意技を身につける」とは、そのような第1段階の体験の中、自己の好きな技を選べと言っているのではない。一つの技を選び、その技の使用を通じ、自己の攻撃技や防御技、組手の内容を吟味することを意味している。言い換えれば、その修錬・体験の中で、組手を行う際、どのような攻撃技を身につければ、相手の攻撃から自己を護ってくれるのかを、自らが判断し、選択することを学ぶということだ。そのような行為の結果、自己の組手の上達(組手レベルの向上)、かつ認識が変化する。そして、認識が変化すれば、以前の判断と選択を見直さなければならないと感じるかもしれない。増田理論では、そのような感覚と認識変化は、上達のために重要な感覚と変化だと考えている。また、感覚を研ぎ澄まし、積極的に変化し続けること、それが重要だと考える。それが上達であり、成長といっても良いだろう。
真の自由
言葉で表現することは難しいが、ここで断っておきたい。先述した変化とは、一つの技を探求した先にある変化だと、念頭において欲しい。あえて誤解を恐れずに表現すれば、「変化は、こだわり、囚われの中から生まれる」ということだ。また、先述した「積極的に変化し続ける」とは、「こだわりや囚われを受け入れ、同時に自由を得ること」でもある。私の考える自由の本質は、変化し続けることである。しかしながら、武術家の変化、自由は恣意的なものではいけないのだ。自己の深い領域から生じる叡智を引き出すような事柄でなければならないと、私は考えている。「〜でなければならない」と構えれば、構えるほど。その場所から遠ざかるように思うが、そこに到達することが、私の考える「真の自由」である。
そして、自己の技と組手に関する、深い吟味による判断と選択、そして変化を積極的に繰り返す中で育まれた技が、本物の技だ。その本物の技が、私がいう得意技と言って良い。
再度言う。「得意技を身につける」とは、つまり「自分で技を選び、その技と組手を深く吟味し、かつ変化を積極的に繰り返しながら、一つひとつの技を本物にしろ」ということである。
ブログより、一部加筆修正あり 明日、早稲田大学極真会のOBを前に空手の話をすることになっている。 私は、選手時代の話を少しさせていただき、次に私の空手理論の話をさせていただきたいと考えている。 そして最後に、これからの極真空手についての構想を聞いて頂こうと考えている。 その話の中核をなすものが、私の空手修練における上達理論である。 その内容は、昨年、フルコムの協力を得て東邦出版から上梓した、「勝てる歩法」という技術書の冒頭に載せたものである。 この本は、「勝てる」「歩法」という語句による先入観により、何らかの極意を読者の方は期待されたかもしれない。しかし、そのような極意が仮にあるとしても、その期待に応えた本になっていないことに、反省点がある。 今回、リライトするにあたり、着眼点を、空手修練における上達理論に絞り、加筆修正を加えたい。さらに、そこから技術の深奥を訪ねたい。 今回、明日の講演内容の整理も兼ねて、少し修正を加え数回に分けて、拙著に掲載した空手修練の上達理論を掲載したい。 それでは・・・。 【追加分】 今回、空手武道通信のデジタルBOOKの中に加えるにあたり、 以前は本の構成上、原稿量の調整や意図的に分かりやすい言葉を選んだ。 しかし、ここでは原稿量に制限がないので、時間が許す限り私論に加筆修正を加え、 自分の思うままに原稿を纏め上げたい。もし、一読いただければ、望外の喜びである。 |
- 2017−7−15:誤字脱字を修正
- 2017−7−16:一部加筆修正
組手に強くなるための3局面と9原則 【3局面と9原則】 〈局面1:戦う前(準備・稽古)の局面〉 原則1.心理的及び身体的な基礎体力の養成に努める。 原則2.戦略、戦術の研究を行い、常に原理原則を考える。 原則3.得意技を身につける。 原則4.絶えず新しい技を試す。 〈局面2:戦う前と戦いの最中の両方の局面〉 原則5.相手(他者)と自分(自己)との情況、状態、関係性を把握する。 原則6.どんなことがあっても負けないと、心に刻む。 〈局面3:戦いの最中(組手)局面〉 原則7.相手の戦略と戦術のパターンを認識する。 原則8.相手の攻撃を弱体化又は無力化する意識を持ち続ける。 原則9.自分の攻撃の効力を最大化するための努力を継続する。
再度言う。「得意技を身につける」とは、つまり「自分で技を選び、その技と組手を深く吟味し、かつ変化を積極的に繰り返しながら、一つひとつの技を本物にしろ」ということである。(連載2より)
▶︎組手に強くなる9原則〜その1 ▶︎組手に強くなる9原則〜その2
その3〜絶えず新しい技を試す(原則4)
次にあげた、原則4の「絶えず新しい技を試す」は、原則3を補完する。という原則をあげた。原則4は原則3の「得意技を身につける」とは一対の原則と捉えて欲しい。
「得意技を身につける」とは、「一つの技を選び、その技の使用を通じ、自己の攻撃技や防御技、組手の内容を吟味する」ということだと先述した。その意味を端的に言い表せば、「組手の技のデータベースを自分の心身に蓄積する」ということである。もちろん、いきなり膨大な量のデータを心身にインプットしろと言っているのではない。もし組手に強くなりたいのであれば、心身は膨大な情報を生成し、かつインプットしていると認識することが必要だと言いたいのだ。そして、全ては困難としても、少なくとも組手に関するデータのインプットの状況は、明確にしていく意識が必要だと考えている。
原則4の「新しい技を試す」には、組手の際、一つの技を試したとして、再度、同じ技を試そうとした時、それはすでに異なる技であるという意味を含意している。私の表現能力が稚拙で、説明は理解しにくいと思う。換言すれば、「一つの技を試す時、1回1回、新しい技だと考えて使え」と言っても良い。さらに言えば、毎回、出鱈目に技を使用して終わりではなく、そこに共通項、普遍性はないかと、稽古後、自分の組手や技を吟味するということでもある。
真の得意技とは
もう一つ大事なことを述べたい。一つの技の体得を考える際、新しい技とも言える、より多くの応用変化技をデータとして心身にインプットすることで、変化に対応できる技が生成される基盤ができるのだ。そして、その基盤から生み出された、変化に対応できる技が、私の言う「得意技」なのだ。ゆえに私の言う得意技とは、凝り固まった鋳型のような技ではない。しかし、何度もその形を再現する、不変の鋳型を有するかのよううな技でもある。
得意技とは、どのような状況、状態でもアジェスト(適応)できうる技、すなわち、形を言うのではなく、その形を生み出す基盤を有する技である。どのような状況、状態でも、ある形を生み出すということは、はたから見れば不変の形を有するように見えるのだ。しかし、そもそも不変の形などないと、私は考えている。全ては主観的イメージ(心象)の中で、そう見えるだけだと考えている。
補足すれば、組手において技は、相手の状態や状況によって、変化させなければならない。その時、本来の技ではなくなるのか、また、新しい技が生まれるのか、というようなことを念頭にイメージして欲しい。また、私の考える得意技と新しい技には共通項がある。それは原理的な技を基盤とし、共有しているということだ。
真の得意技とは、技の基盤が原理的・技術的で、かつそこに個体の特性が反映されている技である。技は、そのレベルに達して初めて、合気道の開祖である植芝盛平が述べた「動けばそれが技になる」というレベルに達する。
つまり、得意技というのは、多様な状況、状態の変化の中にあっても基盤を失わず、かつ、その基盤の中から無限の変化を生み出すような技なのだ。
ここで再度、原則3と原則4を考えると、「一つの技を選び、その技の使用を通じ、自己の攻撃技や防御技、組手の内容を吟味する」ということの意味が理解されてくるのではないかと思うのだが、難しいだろうか。平たく言えば、「内容の吟味」ということに尽きる。しかし、これまでの明確な評価基準がない組手(空手)競技の結果を鵜呑みにしている人に理解は困難であろう。
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備考
- 2017-8-13:一部修正
- 2017-8-14
- 本編は2021年9月に組手に強くなる9原則をタイトル名(組手に負けないための9原則)を変更し、加筆修正を始めている。