理合(りあい)
「理合(りあい)」とは、「理に合う(合っている」と言う意味ではない。
理に合っている場合は「合理」という。例えば身体の動かし方が理に合っていれば 、合理的な身体運動、あるいは操作である。
一方、「理合」とは、「理合」とは、「合う(合っている)理」という意味となる。
拓心武道の修練においては、組手や組手型(形)の稽古において、理想(究極)の打突に内在する、「合うべき理」というものを目指す。この目指すべき指標を理合という。
補足を加えれば、「理」とは「ことわり」のことだ。「ことわり(理)」とは、人の力では、支配することのできない、物事を生じさせる原理のようなものだと言っても良い。それを拓心武道では、道と言い、その道と一体となる在り方を目指す。換言すれば、こうすれば必ずこうなるという必然の条理とか道理のようなものを言い表す言葉が「理(ことわり)」だ。 ゆえに拓心武道では、理(ことわり)に合うことを追求する、すなわち、理合を追求することを「道」とも言い表すのである。
また、拓心武道の修練は、徒手による武技の修練であっても、手の先に小剣があるとの想定で行う。ゆえに「剣の理合」を参照にする。例えば、「剣を用いる戦いにおいて、こうすれば必ずこうなるという必然の理がある。そのような必然の理を求め修練を行うのだ。同時に、各人が各人にとっての様々な身体運用や操作をするための法(理法)というものを求めていく。