Takushin Budo Method

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作法について、礼法の型、他 

空手武道の作法について〜極真会館増田道場の考え方

 

 道場稽古に参加する前に、道場内では、様々な作法があることを知っておいてください。極真会館増田道場には、空手武道の技の体系のみならず、先生、生徒、先輩、後輩、仲間、道場などとの対峙の仕方のルール、作法が伝統的に決められています。その中には、時代と共に若干の改定もありますが、伝統的な作法の大方を継承しています。

 空手は使い方や局面を間違えば、暴力ともなります。ゆえに心が曇っていて、人格が未だ備わっていない人に伝え、教えるということは、空手を暴力の手段とすることになりかねません。しかしながら、空手は暴力となるものではなく、暴力を抑制する力と心を人間に与えるものです。ゆえに我々の空手は空手武道なのです。

 空手武道を学ぶには、正しく人と向き合い、自己と他者を調和させて行く方法を学ぶことが必要です。その方法の手始めが作法の習得です。また、道場内のルールや作法を守れない者が他者と調和して行くことができるはずもありません。

 また、作法を学ぶ目的は、空手武道の技を学ぶこと同様、単なる形を覚えるのみならず、形の奥底の心を磨き、かつ掘り下げ、心の活用法を体得することです。また、作法を学ぶとは武道を単なる技術習得や体育という価値のみならず、人格形成のための武道として価値を高めることなのです。

 

IBMA極真会館修練項目、礼法、他の一覧表

以下は、基本、型、以外で必ず習得しなければならない項目です。

  礼法、他
1 立礼
2 座礼
3 極真礼
4 十字礼
5 回し受け
6 息吹き

極真会館増田道場・礼法の型 の映像

 

3種類の基本礼法プラス1種類の作法。
  • 3種類の基本礼法:極真礼/座礼/立礼と1種類の作法:十字礼
  • 作法は礼法の1種です。ただし、十字礼は極真会館増田道場における独自修練における必要事項です。礼法の型には十字礼ー極真礼ー座礼ー立礼ー十字礼の流れで型となっています。
  • 十字礼は試合や組手型などの稽古の際、相手と呼吸を合わせるための合図のようなものです。また、型では、演武の始まりと終わりの作法となっています。

 

参考資料

作法(礼法)が武道の本質?〜コラム・増田 章

作法(礼法)の役割 

 本道場のカリキュラム(修練×修道)には、拓心武道メソッドという増田 章の武道哲学をベースにした修練法が組み込まれています。それは増田独自の武道論、そして考え方です。拓心武道メソッドにおける、作法の役割についてお話しします。

 現代においては、空手は武道というよりスポーツとして進展しています。その形態は、柔道がそうであるように、日本の武道文化が欧米のスポーツ文化を包摂融合し、発展した形態だと思います。

 スポーツの効用は、思い切りエネルギーを発散させて、有り余る自我を解放させることが可能であること。同時に競技の勝利という目標に集中させ、自我を抑制して個人の有する潜在能力を開花させることを目指します。そのような面を活かして、心正しく、仁義の理解が深い指導者なら、自我の抑制機能が未熟で自分勝手な者を正しい道に導くことも可能だと思います。私はそのような指導者を尊敬します。しかし、本道場と指導者に対し、そのようなことを期待されても応えることはできないでしょう。

 今ここで、そのようなことを伝えるのはなぜか、と聞かれれば、拓心武道メソッド(増田の考え方)の目指すことを、より明確にしたいからだ、と答えます。実は、幼い頃の私も自我の抑制機能が未発達でした。にもかかわらず、非情なことをいうな、と批判する人がいるかもしれません。確かに私は自我に苦しみました。苦しみの中で、運良く、気のあう指導者と優しい先輩と出会い、助けられました。それでも、そのようなことを道場に期待しないでください。中には気の会う人もいるでしょう。そしてその人たちに助けられることもあるかもしれません。それは大事なことであり。そのようなことが多くなれば良いと思います。しかし、それらは人と人との相性であり、好き嫌いであることが多いと思います。

 本道場の運営の本筋はそのようなことではありません。本筋は空手武道の創設並びに空手武道を修練する者が、人を尊重することと同時に自尊心を育んで行くことです。そのためには、作法により心を磨くことが必要だ、と私は考えています。つまり「人を尊重することと同時に自尊心を育むこと」が本道場における作法の修練の役割なのです。

 昨今、武道といっても、中には競技における勝利を絶対の価値として武道を伝える人達、スポーツ的な手法で武道を指導する人達がいます。かつての私もそうだったかもしれません。また、本道場も競技を行い、スポーツ的な要素も取り入れています。ゆえにスポーツを否定はしません。しかしながら、それは武道ではありません。今私は、武道を学ぶということを明確にして、その場を作ることを本筋したいと考えています。本道場では、武道を平たく語る時、身体の可能性を開拓し、心を磨いていく。そして人格を高める道だ、と伝えることがあります。不十分な定義ですが、大事なことは伝えています。

 ここで少し脱線しますが、幼い頃の私は不器用、かつ夢が大きく、自我の制御に苦しみました。それゆえかどうかはわかりませんが、幼い頃の私は、自分の弱さが嫌いで、自分を変えたい、といつも思っていました。果たしで自分は変わったか。人格は高まったか。その答えは否です。だからこそ問い続けています。心を磨くということを。また、私は「身体に自信がない」「心に弱さを感じる」そんな機縁を有する人にこそ空手武道の修練を行って欲しいと思っています。ただし、武道として正しい価値観を有していなければ、その機縁を活かすことはできないでしょう。

作法が武道の本質?

 武道とは何か?ということを述べるのは別の機会にしますが、作法が武道の本質だと言っても過言ではない、と私は考えています。例えば、「勝ったときの作法」「負けたときの作法」「稽古を行うときの作法」、その全てが心を磨き、人格を高めることにつながります。その道筋が見えるものが武道です。ゆえに術ではなく、道なのです。

 ここで断っておきますが、スポーツにも作法があります。それはマナーと言われるものです。実は作法とは、社会的な作法、かつ文化的な作法なのです。私の言いたいことはスポーツが駄目だということではありません。武道には社会的、かつ文化的な作法があり、それが心なのだということ、それを継承することが使命だということです。また、言いたいことの核心は、スポーツであれ、武道であれ、作法を重視しないものは駄目だということなのです。蛇足だとは思いますが、私は西洋の握手という作法が好きではありません。詳しくは書きませんが、「郷に入っては郷に従え」と言いますので、西洋の社会に入って行くときには握手を行うことも必要でしょう。しかし、日本独自の作法も忘れず、それを他の社会でも行って行くことも大事なのではないでしょうか。同時にその作法の奥底にある日本の心を伝えて行く。それが我々の使命だと思います。また、様々な社会的、文化的な作法を知り、それを受け入れて行くことも、これからの社会には必要かもしれません。そのように価値観が多様になるからこそ、独自の価値観を掘り下げ、磨き、高めて行く。そんな方向性が必要なのです。

型のない自由な社会

 さて、作法は親が子に家庭において、本来教えるべきものです。それが親の仕事です。しかしながら、物質主義が主流の現代においては、拝金主義者が大手を振り人間としての崇高さよりも、いかに社会的に強くなるか、また勝利を得るかが至上の価値となり、そのようなことが等閑になっているように思います。本来、親がそれを教えるには、所属する社会において、公共的な作法が明確に存在しなければならないのです。では、私のいう公共的な作法が日本社会に存在しないかと言えば、皆無ではないでしょう。しかし、もう少し、明確に確立されても良いと思っています。そして学校教育システムの中でそのことを教えるべきだと思っています(豊富な資金が投入されているのですから)。

 しかしながら価値観が多様化し、自由を尊重する社会では、作法の確立が困難となっているのでしょう。私は独善的な封建主義より自由な社会が良いとは思いますが、型を教えられない、否、型のない自由社会を良いとも思いません。少なくとも平和という観点では問題を孕んでいると思います。グローバル社会を見たら明らかです。

 私は微力ながら社会に貢献したいと考えています。だからこそ、そのような現状をより正確に把握し、その上で私達のできることに注力したいと考えているのです。私と私の道場のできることは、体力に自信のない人や運動の苦手な人、気の優しい人に武道の修練によって身体に対する自信や優しさを活かす勇気を得てもらうことです。そのために私の修練、研鑽してきた空手武道を役立たせたい、と考えています。ゆえに本道場はエネルギーの発散よりも、学ぶ態度(稽古の態度)を正していくことに重きを置いています。なぜなら、私自身がそうだったように、自分自身の考え方や人生に対する態度を変えることから始まるからです。つまり、学ぶ態度(稽古の態度)を正さなければ、真の上達も成長もないと思います。

作法に始まり、作法に終わる

 最後に、「作法に始まり、作法に終わる」というのが極真会館増田道場の空手武道です。また増田の考案した拓心武道メソッドの考え方です。ゆえに本道場の稽古は、他よりも作法にうるさいかもしれません。不作法な増田が作法にうるさいと言えば、噴飯する人もいるかもしれません。しかしながら、先述したように本道場における作法の指導は、学ぶ態度を問いかけ、そのことによって自己に対峙するためのものです。私はそのことに気づきました。だからこそ、原点に立ち戻り、空手武道の修練を見直しました。作法を含めた形を整える修練を通じ、姿形に内在する、本性を自覚し、人間としての最高の型を作り上げる。

 以上のことは、私自身も道場生と共に追求していきます。私の考えを価値観の違いだと一蹴する人も多いでしょう。それは仕方のないことです。また、空手武道の作法などといっても、実生活での増田は無作法な人間です。それを見て、批判する人もいるかもしれません。それでも。道場を主宰するものとして、方向性を指し示さなければならないと思っています。同時に私も空手武道で心を磨き続けます。また、先生と生徒という序列があったとしても、人間として共に尊敬しあい、人間性を高め合っていく。私が唱える武道人とはそのような人達のことです。

備考

 

 

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