心を高め身体を拓く空手

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稽古とは

 

 「稽古」とは「古」を「稽る(かんがえる)」いうことらしい。つまり、稽古とは先人の残した足跡、あり方を参考、かつ照らし合わせ、自らのあり方、今後について考えることと言える。ただし、考えるといっても、ただ頭で考えるのみではないだろう。身体に感じること、かつ心(意識)に浮かぶものを検証していくことが稽古と言えるのではないか。

一方、練習とは目標として設定した「技」を習得するために、動作を反復し、心身に覚え込ませることだ。そういう意味では、稽古も練習も共通点はある。だが、より深く、より広く考えるという点では稽古は深く、練習は浅いと言えるのではないか。

 以上は再考を要する。 

 

稽古(コトバンク)

〘名〙 (「古(いにしえ)を稽(かんが)える」の意)
① 古事を考えて、物事のかつてあったあり方とこれからあるべき姿とを正確に知ること。
※三代格‐一七・弘仁一三年(822)三月二六日「百姓屡飢。或至レ死者在。夫事若二稽古一、国則隆泰」 〔書経‐堯典〕
② 書を読んで学問すること。また、学んだところを復習すること。学問。学習。
※三代格‐一・弘仁格序(830)「臣等学非二稽古一、才闇二当今一」
※小学読本(1873)〈田中義廉〉一「人の稽古に、種々ありといへども、先づ書を読み、字を写し、物を数ふることを、学ぶを、第一の努めとす」 〔後漢書‐桓栄伝〕
③ 修業。練習。特に武術、芸能などについていうことが多い。
※平治(1220頃か)上「彼の在所に籠もり居て〈略〉ひとへに武芸をぞ稽古せられける」
④ 修行の功を積んで、学識や才能がすぐれていると高く評価されること。
※花園天皇宸記‐元応二年(1320)九月二日「丹伊於寺門可然之稽古者也」
⑤ 特に、刻苦勉励して古事につくという意を強めていう。
※明月記‐承元元年(1207)一一月八日「此人本自全無二時代了見之心一、以二見及事一為二先例一、世以為二稽古之器一」

 

 

 

 

参考資料

参考資料とは明確な定義とは別に、増田がその都度、その意味を伝えるために例えとして話したことです。参考程度にしてください。

 

稽古とは〜全ての道場生へ 増田から

 

2020/12/13  昇級審査の記録ページより

  今回、不合格者が4名いましたが、全ての人があと一歩でした。このことが意味するのは、受審者が審査項目にある空手技を理解していると思っていたとしても、その技の成り立ち(動きの構成)と意味を正確に理解していないからだと思われます。もし、理解がより正確ならば、「飛び級」さえ可能な人もいました。

ここで全ての道場生に伝えたいことを書いておきます。「稽古とは技の認識力を向上させる訓練(修行)」といっても良いものです。

  ここでいう認識力とは、空手の場合、頭で理解しているということのみではありません。自己の身体に問いかけ、身体に理解してもらう作業が空手武道の稽古です。というものの誤解しないでください。身体だけをいじめても理解はできません。体力のみを鍛えるようなものは空手武道の稽古ではありません(一部ではありますが)。

  空手武道の稽古における自己の「身体への問いかけ」というのは、自己の心(イメージの集積体)を見つめる作業でもあります。同時に心と身体を一体化させる作業が稽古なのです。

最後に、稽古と言える作業に必要な事柄、基本は、空手道に上達するための心構えであり、考え方(型)、稽古への取り組み方(型)です。繰り返しますが、認識を明確にすることが必要です。本道場ではデジタル教本を用意していますので、時間のあるとき、わずかでも良いですから紐解き、自習をしてください(教本もより良く改変、更新して行きます)。もし、私のいうことが明確に理解できたなら、ほとんどの人が飛躍的に上達します。

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