心を高め身体を拓く空手

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組手に強くなる9原則 〜その2  得意技を身につける


 
連載1回はこちら
 

【3局面と9原則】
〈局面1:戦う前(準備・稽古)の局面〉

原則1.心理的かつ身体的な基礎力の養成。
原則2.戦略、戦術の研究を行い、常に原理原則を考える。
原則3.得意技を身につける。
原則4.絶えず新しい技を試す。

〈局面2:戦う前と戦いの最中の両方をつなぐ局面〉

原則5.相手(他者)と自分(自己)との情況、状態、関係性を把握する。
原則6.どんなことがあっても負けないと、心に刻む。

〈局面3:戦いの最中(組手)の局面〉

原則7.相手の戦略と戦術のパターンを認識する。
原則8.相手の攻撃を弱体化又は無力化する意識を持ち続ける。
原則9.自分の攻撃の効力を最大化するための努力を継続する。

組手に強くなる9原則  
序〜空手道の修練体系について
第1章 組手に強くなる3局面と9つの原則
1−2)3局面と9原則について
1−3)強くなるということの本質
2章 心理的かつ身体的な基礎力の養成
2−1)戦略、戦術の研究を行い、常に原理原則を考える
2−2)得意技を身につける(連載2回)
 

得意技を身につける

〈原則1〉では体力的かつ心理的なことについての原則。〈原則2〉は、理論的なことの捉え方についての原則である。次の〈原則3〉は、実際の組手における原則である。それら1から3の原則を実践し、検証するには、先ず以って偏見を持たないようにすること。そして、すべての技を修練し試すということが、稽古の際の基本的態度である。
一方、下位者(初心者)が組手練習を行なう場合は、先ず身につけたい技(組手で使いたい技)を決め、その練習に取り組むのが良いという考え方がある。さらには、始めのうちは右も左も解らないかもしれないので、いろんな技を試してから、自分が好きだと思う技を見つけるのも良いという考え方もある。しかし、それらは全て、ここでいう「得意技を身につける」ということとは次元が異なる。
ここで初めて組手を行うことをイメージして欲しい。いうまでもなく、誰もが、何らかの技を用いる。しかし、でたらめに技を出しても組手にならないことは言うまでもない。もし、でたらめに技をだし、組手が成立したとしたら、それは畢竟、相手が弱いか、組手の技術レベルが低い相手なのだ。私は、そのような相手と組手をすることを想定するのではなく、理想の組手を追うことで、組手に強くなると考えている。
ここで「組手を行うとはどういうことか」考えてみたい。技を言葉に置き換えれば、何らかの言葉(技)を軸に相手と意思の伝達をしあう行為(コミュニケーション)と言っても良いと、私は考えている。もちろん、空手の組手は、言葉のやり取り、会話と全く同一ではないかもしれない。しかし、両者の間には、共通の構造があると考えている。

相手の戦闘力の弱体化→戦闘意欲の喪失→相手戦闘力の浄化・転化(和解)

また、組手稽古の先にある、増田武道の到達点をイメージ的に示せば、武術による「相手の戦闘力の弱体化→戦闘意欲の喪失→相手戦闘力の浄化・転化(和解)」となる。ここでいう浄化・転化(和解)とは、相手を認めるということだと、簡単に述べておく。さらなる論の展開は別の機会にしたい。
そのようなイメージで組手を考えるならば、相手に攻撃するとは、攻撃技の効力により、相手の戦闘力の弱体化の目的で行われるのが基本なのだ。ただし攻撃技の効力の内容を、威力、威力による威嚇等とするならば、その効力を思う存分に発揮して、組手稽古を行うことは、空手の初心者には適さない(怪我や最悪、死に至る)。我々の行う組手稽古は、幼い子供に親が言葉を教え、意思の伝達手段を体得させる過程と同様に考えて欲しい。

まずは相手にまずは正しく意思を伝える

そのように観るならば、まずは相手にまずは正しく意思を伝えるということが大事だということが理解されるはずだ。ただ問題は、空手は武術であり、相手を攻撃するという目的で行われるという点だ。相手を攻撃するという目的は、言葉のやり取りと置き換えるならば、異常事態である。その異常事態を疑似体験し、そのような中でも自己を見失わないようにする所に武道修練の意義があると、私は考える。
さて、話を戻せば、組手を初めて体験する場合、どんな人も何らか技を軸(手がかり)に組手を展開するはずである。さらに、組手の体験により、その技の効用を学習していく。その意味は、先述したように、相手の戦闘力の弱体化には、何らかの攻撃技の駆使という、ある種の意思伝達が必要だということだ。
組手稽古における攻撃も、ある種の意思伝達と考えて欲しい。そして、その意思伝達の効力は、意思の母体である個体の能力によって異なる。さらに組手では、自分に向けられた、攻撃技の威力を弱体化させる、防御技の駆使が認められ、かつ使用する。つまり、「組手とは相手の戦闘力を弱体化させるために相手を何らかの技で攻撃する」。同時に、「自己の戦闘力を弱体化させられないために防御技を駆使する」。そのような訓練と言っても良いだろう。
そのように考えるならば、意思伝達のための効力を高めるためには、まず、その技を使用することである。それが「どんな人も何らかの技を軸に(手がかり)に組手を展開する」ということの意味である。つまり、まずは技を相手に使って見ることが大事なのだ。補足すれば、組手を指導する指導者は、ますは組手稽古の安全性の確保、下手でも臆せず技を使わせるなどの要点を認識して欲しい。その上で、初心者に様々な技を駆使する体験をさせるよう促さなければならない。
さらに、組手稽古では自己の攻撃技が、相手の防御技によって弱体化させられるということを体験することで、相手の技が砥石のように作用し、自己の攻撃技の切れ味(レベル)を磨いていく。それが、私の組手稽古の上達への第1段階と言っても良いだろう。

組手の深い吟味による判断と選択、そして変化を積極的に繰り返す

「得意技を身につける」とは、そのような第1段階の体験の中、自己の好きな技を選べと言っているのではない。一つの技を選び、その技の使用を通じ、自己の攻撃技や防御技、組手の内容を吟味することを意味している。言い換えれば、その修錬・体験の中で、組手を行う際、どのような攻撃技を身につければ、相手の攻撃から自己を護ってくれるのかを、自らが判断し、選択することを学ぶということだ。そのような行為の結果、自己の組手の上達(組手レベルの向上)、かつ認識が変化する。そして、認識が変化すれば、以前の判断と選択を見直さなければならないと感じるかもしれない。増田理論では、そのような感覚と認識変化は、上達のために重要な感覚と変化だと考えている。また、感覚を研ぎ澄まし、積極的に変化し続けること、それが重要だと考える。それが上達であり、成長といっても良いだろう。

真の自由

言葉で表現することは難しいが、ここで断っておきたい。先述した変化とは、一つの技を探求した先にある変化だと、念頭において欲しい。あえて誤解を恐れずに表現すれば、「変化は、こだわり、囚われの中から生まれる」ということだ。また、先述した「積極的に変化し続ける」とは、「こだわりや囚われを受け入れ、同時に自由を得ること」でもある。私の考える自由の本質は、変化し続けることである。しかしながら、武術家の変化、自由は恣意的なものではいけないのだ。自己の深い領域から生じる叡智を引き出すような事柄でなければならないと、私は考えている。「〜でなければならない」と構えれば、構えるほど。その場所から遠ざかるように思うが、そこに到達することが、私の考える「真の自由」である。
そして、自己の技と組手に関する、深い吟味による判断と選択、そして変化を積極的に繰り返す中で育まれた技が、本物の技だ。その本物の技が、私がいう得意技と言って良い。
再度言う。「得意技を身につける」とは、つまり「自分で技を選び、その技と組手を深く吟味し、かつ変化を積極的に繰り返しながら、一つひとつの技を本物にしろ」ということである。
 
▶︎その1
▶︎その3(連載3回に続く)
 

  • 2017−7−24:一部加筆修正
  • 2017-8-13:一部修正

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