第75号:2025年6月22日発行


巻頭コラム: 武道の型について

 武道の型について

私たちは「型どおり」「ワンパターン」「かたぐるしい」といった言葉に象徴されるように、「型」に対して否定的な印象を抱くことが多い。一方で「型破り」といった表現は、自由で進歩的な肯定イメージを伴う。しかし実際には、伝統や慣習を尊重し、そこから逸脱する者を排斥する態度も存在する。

このように、「型」に対する社会の態度は両極端に振れやすい。現代社会では、古い型が軽んじられ、自由や個性が重視される傾向が強い一方で、伝統を過剰に権威化し革新を拒む保守的な姿勢も根強い。私はそのいずれにも与せず、古い型を保存・検証しつつも、新たな形の創造・修正を怠らないことが重要だと考えている。ここでは詳細な批判は控え、「武道の型」についての私なりの試論を述べたい。

武道における型の本質

現在、武道を名乗る流派は、数えきれないほど多い。だが、すべてを一括りに「武道」と呼べるかは疑問である。また、武道を修練する者の間でも「型」への考え方は様々だ。ここでは私の視点から「武道の型」の本質について試論を試みたい。

私が考える武道の型とは、武術における理想の動きを再現するための「枠(枠組み)」である。理想の「形」は、あたかも水が枠に流し込まれて自然な形を成すように、柔軟で流動的なものだ。

ただし、この「形」は自己の身体の動きだけで成立するものではなく、相手の身体との連動により初めて成立する。ゆえに、武道の修練では、自身の身体をつくる「心」を別の「枠」に流し込む必要がある。この「心を流し込む枠」こそ、型の中に内包された本質的な構造である。

型が導く身体と意識の融合

武道では、自己の身体を武術に適合する形へ鍛えると同時に、相手の動きや身体と一体化し、理にかなった動きと形を体現しなければならない。そのため、自己の「心」と相手の「心」を融合させ、新たな「武道の心(意識)」を生み出す身体的構造=「枠」を築く必要がある。このプロセスこそが、私のいう「武道」である。

ここでの「心」とは、意識の水のように流動的で固定されない存在である。武術や技は、多様な局面に対応可能な柔軟な動きでなければならず、硬直した「固体」として捉えては応用が利かない。

そのため、型もまた、目に見える動作だけでなく、目に見えない「間合い」「拍子」「呼吸」など、相手との関係性を調整する要素が極めて重要となる。特に、武術を実際に行使する場面では、相手との関係の中で自己の主体性や優位性を保つための技術が求められる。

型の目的は「自他調整能力」の養成

私は、武道の型の最大の目的を「自他調整能力」の養成と考えている。これは、自分と相手との関係を調整し、状況に応じて自己の身体・意識を柔軟に変化させる技術と感覚である。

型の修練は、自身の身体という「枠」に「心」という意識の水を流し込むだけでなく、相手の身体と心をもひとつの「枠」に取り込み融合させ、新たな意識を生み出すことにある。その際、自分の主体性や自律性を失うことなく他者と調和することが求められる。

ここで用いる「心」は最終的に「無心」の境地を指す。無心とは心を空っぽにすることではなく、何ものにも囚われない自由な意識状態である。もし心が何かに固執すれば、他者と一体になるための「枠」に自分の意識が流れ込まず、技が相手に作用しなくなるからだ。

「型」に囚われないための「型」

「型」を嫌う人は、型に従うことで自由な動きが妨げられると考えるだろう。しかし、武道の真の技とは、相手の動きに自身の動きを調和・浸透させ、時に制し、時に活用する動きであり、恣意的で独善的な動きではありえない。

私が考える「型稽古」の目的は、相手との仕合(技の応酬)において、常に主体的で自由かつ能動的に動ける力を養うことである。だが、型に囚われ心の自由を失った状態では、真の自由な動きは決して実現しない。

結びにかえて

型という「枠」は、心という「水」が自在に流れ込むための器に過ぎない。その器に執着すれば水は澱み、自由な動きは失われる。だからこそ、型を通じて型から自由になる修練が必要なのである。

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 Professional SENSHIイベント (5月17日)

5月17日、ブルガリアにて「 Professional SENSHI イベント」が開催され、日本から増田章師範がKWU-SENSHI会長として出席されました。

本大会の会場は、世界遺産にも登録されている歴史的な闘技場であり、その特別な舞台で格闘技イベントが行われることは非常に意義深いものでした。

当日は屋外開催で肌寒さも感じられましたが、満員の観客の熱気と声援により、会場全体が大いに盛り上がりました。

 

KWU-SENSHI JAPAN セミナー開催報告(5月25日)

5月25日、IBMA極真会館増田道場本部において、KWU-SENSHI JAPANセミナーが開催されました。
今回は、成嶋師範によるセッションに加え、青木先生、増田師範によるセッションも行われ、充実した学びの機会となりました。
参加された皆様、お疲れ様でした。

次回のセミナーは 6月29日(日) に開催予定です。
定員に限りがありますので、参加をご希望の方はお早めにお申し込みください。

 

クエートとイランの師範がIBMA多摩本部に来館(6月3日)

6月3日、クエートとイランから師範が増田師範の拓心武道の講習を受けました。クエートのアリ師範は3回に渡り、拓心武道の講習を行いました。

 

上級審査会の結果報告(6月15日)

6月15日多摩本部において上級審査会が行われました。

 

 IBMA極真会館・増田道場イベントのお知らせ

 

増田道場生へ〜組手型の改定、他

現在、組手型の稽古は有段者のみに行なっていますが、今後、すべての有段者に組手型の基本を理解してほしいと思います。その理由は、この組手型こそが、増田が人生を賭けて編み出した武道哲学そのものだからです。そして、この哲学が他の空手流派と一線を画す部分です。

組手型の一例と礼の仕方についての動画

 

 

 

IBMA極真会館増田道場・名誉師範、石川良一先生一周忌法要のご報告(6月22日)

このたび、稲城市坂浜に所在する高勝寺において、IBMA極真会館増田道場 名誉師範・石川良一先生の一周忌法要が厳かに執り行われました。

石川先生は、IBMA主催の「全日本ウェイト制空手道選手権大会」において10年間にわたり大会会長を務めてくださり、空手道の普及と発展に多大なるご尽力を賜りました。また、稲城市長として5期20年にわたり市政を担われ、さらに東京都議会議員としても長年にわたり公務に励まれ、地域社会の発展に寄与されました。先生の温かなお人柄とご功績を偲び、心より哀悼の意を表しますとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 


編集後記

イスラエルとイランとの戦争が始まった。この戦争が短期に終結することを祈るばかりだ。だが、アメリカが仲裁するどころか、イスラエルを支持、かつ攻撃の協力をしている。

アメリカには「核開発に関する全てを廃棄すること」さらには「無条件降伏」を要求しているらしい。アメリカにはアメリカなりの正義があるのだろうが、その正義が許されるには、アメリカという国にどの国と比べても劣らない「倫理観」が必要だ。

だが、高い倫理観があるなら、戦争などしないだろう。全ては利害調整のための政治の延長だ。実は最近イランの人たちと縁があった。そのため、私はイランの歴史や状況について少しだけ調べた。そして、私はイランに対してあまりにも無知だった、と反省している。

これ以上のことを語るには、相当な情報が必要になるので控えたいが、イランという国では、サッカーに次いで空手に人気がある国らしい。その理由には、これまで何十年も戦争を繰り返し、隣国のみならず、アメリカと緊張関係にあることが影響していると思うのは、私の妄想だろうか?簡単に言えば、イランはかつての日本のように自国の尊厳を維持しつつ、西洋(西側)の国に侵略されないようにと「尚武」を旨としているのであろう。同時に宗教を国家の柱としているようだ。お叱りを承知で言えば、かつての我が国と似てはいないか。だが、日本のリーダーには柔軟性があったように思う。僭越だが、イランのリーダーにも柔軟性があること願う。そして、国民が戦争の犠牲にならないように祈っている。

兎にも角にも、世界中のリーダーに伝えたい、協力な武力を有する者ほど、そして国家のリーダーには誰にも勝る「理性」が必要なのだ。それは、強いリーダーには、通常、誰にも勝る情熱、すなわち感情があるものだからだ。だからこそ、リーダーは、その強い感情を制御、かつ高次化して使う必要がある

最後に、歴史を紐解けばわかるが、これまで他国の脅しや侵略に寛容になったり、弱腰になった国は滅んでいる。暴論だと思うが、私はトランプ大統領は、今回の決断をAiに答えを求めたのではないだろうか、と思っている。そして、Aiに問えば、「攻撃せよ」となるかもしれない。それは第3次世界大戦のデータがAiにはないからだ。また、人間だけが有する、感情と理性の葛藤を超越した末に開ける理性・知性がないと思う。もちろん、過去のデータを分析し、より良い選択肢と考え方を瞬時に導き出す能力は活用に値する。そして、よく活用すれば、人類に益をもたらすだろう。ただし、その活用の方向性として、社会の利便性を高めるのみならず、これまで以上に人類の理性を高次化し、未来を切り拓く叡智を生み出すことに使わなければなければならない、と私は考えている。

私は、その感情と理性の葛藤を超越し、理性の高次化に役立つのが文学や芸術だけではなく、武道だと考えている。だが、私は、いまだ武道を掲げている人たちの知性や想像力が未熟だと感じている。

一方、こんなことを宣う増田 章を多くの武道愛好者は「増田は現実を見ない馬鹿」だと嘲るに違いない。

【追伸】

ちなみに、オープンAiに戦争への核爆弾の使用の是非を質問したら、さまざまな面から、「NO」との答えだった。おそらく、一般的な考えでは、「NO」なのだろう。では、人類に内在する「闘争」というウィルスとどのように対応したら良いのだろうか。  

(Akira Masuda)


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発行:IBMA極真道・増田道場
編集責任者:増田 章