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防御技とは何か?

拓心武術における「防御技」とは何か?

  • このページでは、基本防御技(受け技)の解説をしたい。

拓心武術の修練における防御技の役割には、「相手攻撃の効力を遮断(インターセプト)する」こともあるが、それだけではない。まず、防御技とは相手の攻撃の効力を無力化、弱体化する技である。さらに拓心武術の防御技とは、相手の攻撃技を一瞬にして無力化または弱体化し、かつ自己の反撃のために相手を崩し、反撃の効力を最大化するための技なのである。

 ゆえに、拓心武術における防御技は、単体で使用することも可能だが、拓心武術の修練の目標からすると、「応じ技」として使用することを試みてほしい。拓心武術の「応じ技」とは、防御技と組み合わせ、攻撃技を活かすためのものと言っても良い。この技を活かすということが、戦いの理法(拓心武術の戦いの理法)の習得に繋がる。また、防御技と攻撃技が別々とは考えないでほしい。拓心武術の防御技と攻撃技の組み合わせとは、「応じ技」として、局面に応じ、その都、度新たに創出される技を見て、その真偽、高低を判断しなければならない。また、拓心武術の修練では、応じ技を「防御技×攻撃技」という表記で表す。その意味は、防御技も攻撃技も拓心武術の「応じ」という「術」の構成要素だということを認識してほしいからである。

 

◎防御技は、基本組手技として、大体の形態を修練しますが、防御技の理法(理合)は「組手型」と「TS方式の組手修練」を行って、初めて習得できるものです

 

 

 

 

参考資料

  • 以下の理論は書き直しの可能性あり。
【防御するとは、相手の蹴り技を無力化、弱体化させるための攻撃】

 はじめに、相手の下段蹴りをスネ受けで防御(ブロック)するとは、「相手の蹴り技を無力化、弱体化させるための攻撃」と、私は考えている。例えば、相手の攻撃をミサイルだとすれば、相手ミサイル(下段回し蹴り)が目標に着弾しないように、自分のミサイル(スネ受け)で迎撃(攻撃)することが「すね受け」だ。換言すれば、迎撃とは「相手攻撃が威力を発揮する前に攻撃力を無力化、あるいは弱体化すること」と言えるだろう。そのような効力を発揮するには、まずもって相手の初動をいち早く察知し、その軌道を理解することが必要である。その上で、どの角度、どの位置から相手の攻撃技を迎撃(攻撃)すれば、相手の攻撃技を無力化、弱体化できるかを認識できなければならない。そして、実践稽古と併行して理論を知ることで、IBMA極真会館の「肘受け」や「すね受け」の稽古は、より効果的になるだろう。
さて、「相手攻撃をインターセプトし優位性を確保する攻撃技」としての受け技の習得のための稽古方法について考えて見る。稽古方法のフレームは、約束組手と自由組手です。それらは車の両輪のようなものだ。そうすると、稽古する者は車であり、その車をより高いレベルの空手家にするためには、車輪をよく機能させなければならない。そして、その車輪をよく機能させるために必要なことは、「攻撃技の基本性質、機能を理解すること」と「防御技の役割と目的を明確にすること」だ。言い換えれば、「相手のどこをどのように攻撃すれば、より効果的か」、また「相手の攻撃の軌道を見極め、どの角度、位置からどこを迎撃・攻撃すれば、より効果的か」を認識することでもある。

【組手型の心得】

 ここで組手型の心得について話しておく。組手型は、まずは正確な攻撃を想定して稽古をするようにしたい。通常の仕掛け手と応じ手が二人一組で行う組手型は、仕掛け手も正確な攻撃技を出す意識がもっとも重要である。もし正確な攻撃技ができなければ、ゆっくりと行うのが良い。また、組手型は、仕掛け手も攻撃技の正確性(精度)を高める稽古だと認識することだ。でなければ、稽古するパートナーの意識が低いと、間違った方向に行ってしまい。正しい方向に戻ることが困難になるだろう。また、相手を傷つける空手技を修練する際の心構えとして、危険なものを扱っているのだという気持ちを持ちたい。例えば、刃物を扱う練習をしている時、いい加減な気持ちで練習すれば、必ず怪我をするだろう。空手も刃物と同様である。いい加減な気持ちで練習をすれば、その時に怪我をしなくても、なんらかの災いを、いつか空手家にもたらす可能性が高まるだろう。ゆえに、約束組手や組手稽古をいい加減な気持ちで行うことを、私は最も嫌う。断っておくが、私のいう楽しむということは、いい加減に物事をやることではない、以前も書いたとは思うが、「三昧」や「無心」の境地、すなわち、最も真剣に行う行為の先にある。

【明確な答え】

 話を戻せば、突き技の仕掛けに対し、「肘受け」によって迎撃(受け)を行う場合、「相手の攻撃の着弾点と軌道を見極め、どの角度、位置から迎撃・攻撃するか」には、明確な答えがある。それは、相手の攻撃の先端部ではなく、少し手前の部分に肘を下から当てるようにすることだ。ただし下突きを肘で受ける場合は相手の下突きを肘でブロックするようにして受けることを基本にしている。そのような迎撃(受け)を可能にするには、肘の使い方、腕の動かし方を正しく習得することはもちろんのこと、位置取り(ポジショニング)も重要になってくる。
肘受けの基本的な位置取りは、相手の突き技が威力を発揮する打点を入り身で外すことだ(入身については用語解説で)。補足しておくが、相手の下突きの先端部を肘打ち下ろしのように攻撃する肘受けもある。また、特殊な肘受けとして、「相手の直突きの先端部分を肘で受け潰し、迎撃する「肘受け(肘合わせ受け)」もある。
次に、下段廻し蹴りや中段回し蹴りに対する「すね受け」によって迎撃(受け)を行う場合について解説したい。蹴り技に対するすね受けの理論の基本的な部分は、突きに対する肘受けによる迎撃とほぼ同じである。
下段回し蹴りの場合は、相手の蹴りのヘッドスピードが最大になる部分を避けて、すね受けにより迎撃する。つまり、下段廻し蹴りに対するすね受けは、蹴りの先端部分の背足にすねが当たるようには受けるのではない。なるべく膝近くの脛部分で受けるようにする。その理由は、相手の蹴りの威力をまともに受けることを避け、間髪を入れない反撃を可能にする、条件を作りやすくなるからだ。また位置取りは、状況により、多少の違いはあるものの、相手に懐に、すぐに入れるような位置ど取りを基本とする。なお、先述した肘受けやすね受けのすね受けに関してのより詳細な解説は別ページで行いたい。また、すね受けによる迎撃から連携、連続して反撃を行う方法についても別のページで解説したい。
 

【見切り】

 次に受け技の稽古に関して最も重要な点について述べたい。受け技の稽古で最も重要だと、私が考える点は、「見切り」だ。技を限定した、様々な組手稽古において、受け技を駆使すること、同時に攻撃技を駆使することの目的は、「相手の攻撃の予測とそれに正しく反応する能力を養うこと」である。要するに「見切り」とは「相手の攻撃の予測とそれに正しく反応する能力を養うこと」だと、私は考えている。

 例えば、組手稽古においては、はじめに「肘受け」や「すね受け」を用いることで、相手の攻撃技の軌道が明確に見極められるようになることを優先すべきだ。その上で、「寄り身」「ひねり身」などの「かわし受け」などを使う方がより効果的だと、私は考える。例えば、肘受けは、一瞬にして相手の攻撃を避け攻撃に転じる、クロスカウンターの体得につながる。すね受けは、クロスカウンターの合わせ下段で一瞬にして相手のバランスを奪う合わせ下段回し蹴りや急所蹴りの体得に絶大な効果を果たす。しかし、先にクロスカウンターを使用とすることには反対だ。なぜなら、どんな技も体得には、途方もないぐらいの反復練習(検証を含む)が必要だからだ。また、そのような修練には、自由度を上げ、より複雑な条件を設定することで得られる、特殊技術の獲得という環境設定が必要だと考える。同時に、自由度を上げることで、複雑化しすぎ、デタラメになり、技術の創出がおこならいような状況に陥らないような環境設定も必要だと考えている。その相反するかのような環境設定と条件が、人間の心身を使った技術の創出には必要ではないかという、仮説を私は持っている。そのような環境設定と条件の中に安全性の確保が含まれる。また私は、合わせ攻撃は基本ではなく、応用技であると認識している。そして応用からはいれば、変形するに容易く、多様な活用に適さないと考えている。技が無限の応用変化を生み出す裏側には、私の空手理論(現在執筆中)でいう『原理技(仮称)」の存在があると思うのだ。そして、応用技から入れば、その原理技が見えなくなると思っている。

【100人組手】

 先述したことに関して、私には理論とともに実感がある。それは、私が青年期に行った、究極の空手修行である、100人組手によって得た。私は、100人組手において、半数近くの対手から、合わせ下段廻し蹴りで技あり、一本をとった。一人2分の100人組手いおいては、体力の消耗を極力抑えなければならない。同時に守るだけではダメだ。100人組手の時、私にとって大きな助けになったのは、普段、完璧な下段のすね受けを心がけていた稽古とすね受けだと確信している。もちろん私の受け技は完璧ではない。また未熟である。しかし、私はいつも完璧な組手を目指して稽古をしてきた。その経験から、組手稽古において、より基本的要素を包含する「すね受け」の完璧な活用を目指していれば、合わせ下段などへの応用は簡単だという実感があるのだ。もちろん、合わせ下段をまったく認識もしていないということではない。すね受けは合わせ下段に転化する技だという認識を有することが必要なことは言うまでもない。あくまで、ここで私が述べているのは、稽古体系の中で、修練していく順番を言っているのである。そして、合わせ下段という技から稽古を行うことは、感覚的なのだが、多様な技術を体得するのに、倍の時間と労力がかかると思う。同時に一つの技を極めるにも限界がある。私の極意に「一技即多技」というものがある。解説すると、一つの技の中に多技に通じる技があり、多技の中に一技同様の技がある。そして、その技こそが真技だという意味だ。この部分もページを分けたい。

 補足を加えれば、100人組手を行なった時は、体力は現在の倍ほどあったが、技は未熟であった。例えば、中段回し蹴りの「すね受け」や突きに対する「肘受け」は使ってはいない。もし、中段のすね受けと突きに対する肘受けを使っていれば、かなりのレベルの100人組手になっていたと思っている。

【武道家の目指す境地】

 最後に、そのような経験と修行を通じ、相手の攻撃に対応して自己の技で反撃するとは、「単なる刺激に対する反射であってはならないと、私は考えている。それは人間の感情レベルの反応も含めてだ。私は、そのような要素を否定はしない。しかし、そのレベルに居着くことは、武道家の目指す境地ではない。異論が必至だとは思うが、私は武道をそのような境地を目指す手段だと考えている。
断っておくが、空手技が脊髄反射等の人体の本能的な機能や人間の心理的な諸性質を活用することは当然だと、私は考えている。ただ、それらの諸条件を知った上で、後天的に作り上げる、脳と身体の機能が、私の空手メソッドの目指す境地なのだ。換言すれば、人間の有する諸機能と諸性質を開拓し、再構築していくこと。それが私の空手道である。その上で、先述した「見切りとは何か?」改めて考えてみる。現時点での私の定義は、「ある志向性を持つデータ収集とその解析、さらに、解析したデータをどのような行動につなげ、活用するかを判断する能力」である。

 大変もったいぶった書き方だと思われる方もいると思う。しかしながら、このページを書き記すのにも、かなりのインプットと実験と考証が必要であった。もう少し、研究のための資金があれば、この10倍の考証を行い、可能な限り、言葉を削ぎ落としていく。そのようなことができる余裕があれば、少し趣が異なる表現になるかもしれない。現時点では叶わぬ願いである。この続きと補足に、もう少し時間をいただきたい。

 余談だが、最近になり、人工知能の研究が進み、ニューラルネットワーク、そしてディープラーニングという概念が発見、創出されているようだ。私はその分野に関しては門外漢だが、ようやく私の直感が、人工知能の概念を使えば証明できるかもしれないと考えている(2017年に記す)。

 

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